ブログが社会を表すのではなく,ブログ自体がひとつの社会となっていた,そんな,7月7日。
quote:ロンドンでの爆破テロの後,1200万ものウェブログの更新を追跡しているテクノラティ社は前日の30%増の更新があったことを公表した。同サイトでもっとも検索が多かったキーワード20個のうち,16個はロンドンでの事件に関連するものだった。米国同時多発テロのころには,ウェブには10万のブログしかなかった。今回はそれが大きく広がり,フリッカー・コムのような写真のホストサイトには,爆発が起きた数分後の電車内の写真も含まれていた。
個人的なことだけど,わたしが今回の爆破テロのことを最初に知ったのはフリッカーだった。誰かがアップした写真がリロードごとに出てくるページをたまたまみていて,なんかニュースが起きたような英国のテレビ画面を撮影したような写真や,地下鉄の入り口が封鎖されているような写真が目に付いて(pic,pic),それでニュースサイトで知ったという感じだった。その後,「ロンドン」というタグが付いている写真をみたりして(いまはもう事件に関する写真は少ない),五輪開催から急転直下を受けたような英国の情報を仕入れていた。
たとえニュースサイトにまとまった情報がなくとも,どこかのブログでこの話が出ていただろう。それらによって,前日より30%も多い更新量になったと思われる。もちろんブログは,その内容が間違いのない真実だとすぐに思うことはできないけど,今回はひとつの事件が波を起こして,ネットワークを駆け抜けたのを体感できた。遠い島国の日本でも多少はこの事件にふれたブログもあったようで,もし身近で起きていたら,ネットワークがどのように動くか想像が広がる。…ブログは,定着したのかもしれない。米国同時多発テロのときにはなかったものが,すでにできているのかもしれない。それがある社会では,今回の事件のように情報が波となることを知ることができた。もっとブログが定着することで,その波はより精度を持つだろう。それがある社会と,ない社会では,生き方にも変化が起きるはずだ。なにを軸として生きるべきか,そろそろきちんと変えてもよいだろう。
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